新天地イエス教(略称「新天地」)の教主はイエス様であり、カルヴァン長老教の教主はカルヴァンである。イエス教の教理は啓示神学であり、カルヴァン主義の中心教義は二重予定説であるが、これは人の戒めである注釈である。韓国にキリスト教が入ってきたのは、聖書6千年の歴史のうち、わずか120年にすぎない。この120年のうち、文教部(=教育部)から認可を得た最初のプロテスタントの神学校が設立されたのは、たった55年前にすぎない。それから、人がそれぞれ造った自分の教団の法則に従って、牧者按手を受けた者に牧者の権威が与えられた。
初臨の当時、イエス様は祭司長や長老と相反する仲であった(ヨハ5章、8章参考)。大祭司長や長老は、聖殿で啓示の御言葉を教えているイエス様に向かって「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか」と言い(ヨハ7:15)、「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか」と言った(マタ21:23~24)。神様の御名によって来られたイエス様は、「あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人(大祭司長や長老)がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです」と仰った(ヨハ5:43)。
我が新天地には大勢の牧者、長老、伝道師たちが来て入籍している。また、神学校の門前にも行ったことのない者がただお金だけを払って買い取った既成教会のにせ牧者資格証をも証拠物として所持している。今日、我が新天地イエス教は、神様と、イエス様と、真理の聖霊である助け主の御名によって立てられた聖殿であり、聖書に約束されている聖殿である。従って、イエス様の初臨の時のように、祭司長すなわち牧者たちや長老たちとのひどい言い争いが続いてきた。言い争う主な内容は、教団の牧者資格証を持っている人の戒めと、天の啓示との言い争いである。新・旧約聖書を見ると、時代ごとに神様が遣わされた使者と祭司長たちとの間では言い争いが絶えず、神様の呪いは当時の祭司長たちに向けられていた(マラ2章)。
旧約聖書を見ると、神様が遣わされた預言者は皆、神学校で学んだことはなかったが、そのあかしはまことの真理であったのであり、新約聖書を見ても、イエス様とその弟子たちは、神学校で教わったことはなかったが、聖霊がともにおられることで、彼らのあかしはまことの真理であった。今、私たちは、当時の長老や祭司長たちの言葉を守っているわけではなく、神様の啓示、すなわち預言者たちが語った新・旧約の御言葉を信じて、守っているのである。今日も、人が造った神学校で牧者資格証を取った者や彼の言葉を信じているのではなく、神様の聖霊と真理の聖霊から与えられる啓示の御言葉を信じているのである。今日、「真理の聖霊である助け主の啓示の御言葉を信じる聖徒」と「牧者の言葉を信じる人」に聖書に関する問題でテストを受けさせるとすれば、両方それぞれ何点を取れるのだろうか。イエス様の御名によって来られた真理の聖霊である助け主(ヨハ14:26)がともにおられる新天地の啓示の御言葉を受けた者だけが、まことの神様と、イエス様と、助け主のことを知り、永遠のいのちに至るようになる(啓1:1~3、啓10章、マタ11:27、ヨハ17:3)。助け主がともにいないところは、真理も、聖霊も、永遠のいのちも、天国もないのである。