白い馬と乗っている者と弓

本文:啓6章
引用聖句:ゼカ6:1~8、ハバ3:8~9、哀2:1~9、黙19:1~16
 
 本文1~8節の白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬(ゼカ6:1~8参考)と、その上に乗っている者、弓と剣と量りは、何を言っているのだろうか?そして、本章の事件は、いつ、どこで起こった、どんな事件だろうか?
 
 本文は、神様とイエス様が御座の前と回りにいる四つの生き物(黙4:6~7)に指示して、罪を犯した霊的イスラエルに対してアダムを審判したように審判するものである。出現する馬たちは肉体であり(イザ31:3)、乗っている者は霊である。弓と剣と量りは、聖書の御言葉であり(エペ6:17、ハバ3:8~9、哀2:4、箴24:12)、ききんは御言葉がない霊的飢え渇きを言うのである(アモ8:11~13)。
 
 黙示録2章3章の選民がサタンと不品行を行なって、偶像のささげ物と教訓を受けたので、悔い改めの手紙を送ったが、悔い改めないので、罪を犯したアダムをエデンの園から追い出したように(創3:23~24)、四つの生き物に指示して審判を行い、神様の幕屋から選民を追い出すのである。まず、わかる事は、黙示録9章で、サタンの兵士も馬と乗っている者がいたという事実と、霊的な戦争とは神様の所属の霊肉とサタンの所属の霊肉との戦いだという事実である(エペ6章、黙12章参考)。
 
 本文での馬と弓と剣は、昔の戦争で使った武器をたとえて言ったのである。そして、白い馬に乗っている者は、ゼカリヤ6章と黙示録19章で見たように、単数ではなく、代表的な人物を言ったものであり、白い馬に乗っている者は、昔の王子が白い馬に乗って戦争に出て行った事をたとえて言ったのである。そして、主がともにおられて審判して戦われるという事を、黙示録19章(11~16節)を通してもわかる事ができる。エレミヤ哀歌2章、3章で「主が罪を犯した自分の民に弓矢を張られた。」と言われて、ハバクク3章(8~9節)で「主が馬に乗られて、罪を犯した自分の民に弓のおおいを取り払われて、矢を張られた」と言われた御言葉などと、黙示録19章16節の御言葉などを総合してみると、白い馬に乗っている者(白い馬の部隊を率いておられる方)が、「イエス」という言葉はないが、イエス様である事がわかる。
 
 本文9~11節で、殉教者たちが血の復讐を訴えた事は、黙示録18章20節で、その復讐を訴えたとおり報いてくださった。12~14節で、太陽、月、星(選民、創37:9~11参考)が暗くなって、天から地に落ちて、天地がなくなったことは、黙示録7章と21章、創世記1章のように、もう一度再創造される。黙示録6章は、背教した選民(太陽、月、星)に対する審判であり、黙示録16章、18章は、黙示録13章で選民を滅亡させた獣のような霊的バビロンに対する審判である。
 
 わが新天地イエス教は、啓示された黙示録全章の実像を見て聞いて、指示に従ってあかししている(黙1:1~2、黙10章、黙22:16参考)。預言を信じて成し遂げられる事を待っている聖徒は来て見なさい。そして、確認しなさい。このあかしはまことである。