神様の所属と悪魔の所属の区別

神様とイエス様はこの地上に来られて、私たちが守る戒めを与えられた。与えられた戒めの反対になる行動が悪魔の所属の行為である。
 
° 人に仕えて隣人をあなた自身のように愛せよ(マタ22:37~39)。
° 罪を赦して(マタ6:14~15、マタ18:21~35)祝福せよ(ロマ12:14)。
° むしろ、迫害を喜びなさい(マタ5:10~12)。
° 偽りを言ってはいけない(コロ3:9)。
° 敵を愛しなさい(マタ5:44)。
° 敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい(ロマ12:20)。
° さばきと量りをしてはいけない(マタ7:1~5)。
° 人を憎む者はみな、人殺しです(Ⅰヨハ3:13~16)
° 一ミリオン行けと強いるような者とは一緒に二ミリオン行きなさい(マタ5:41)。
° 父と母を敬え(マタ15:4~6、19:19)。
° 良い人でも悪い人でも無理にでも連れて来て、宴会場がいっぱいになるようにしなさい(マタ22:9~10、ルカ14:23)。
° いのちを得るためには小さくて狭い道に行きなさい。(マタ7:13~14)
° その実を通してその木が分かる(ルカ6:43~45)。
° ただで受けたのだから、ただで与えなさい(イザ55:1、マタ10:8、啓22:17)。
° 聖書の言葉を加減してはいけない(啓22:18~19)。
 
 これはイエス様が私たちに与えられた戒めの一部である。
 
 しかし悪魔の所属の行為はどうなのか。
 自分自身は知らないかも知れないが、その行為でその人が分かるだろう。聖書は悪魔(悪)の所属と神様(善)の所属を知らせた本である。ただで受けたのだから、ただで与えなさいと言われたのにお金を受けて聖書を教える者は雇い人であり、主の戒めに従順しない不法者で、また悪魔の行為をする者である。
 
 さばきや量りをしてはいけないと言われたのに(マタ7:1~5)、さばいて量る者は主の戒めを守らない不法者であり、悪魔所属の行いをする者である。赦して愛して祝福しなさいと言われたが、赦さなくて呪い、愛しなくて祝福ではなく迫害をすることは悪魔の行為である。神様の啓示ではなく、恣意的な注釈の解説は神様から出たのではない。聖書の言葉を加減してはいけないと言われたのにもかかわらず加減することは、信じなくて守らない恣意的で不従順する行為である。神様の約束された通りに来られた主の使者を信じなくてののしる者は、自分が悪魔の所属だからそのようにするのである。
 
 多くの牧師たちとその所属の人々があらゆる迫害や悪口、呪いの言葉をインターネットに載せた。これが聖書的な主の戒めから出たのか。それとも悪魔の思想から出たのか。聖書で判断しなければならない。旧約と新約の聖書を見ると、神様の遣わされた者たちをその時代のだれが迫害して殺したのか。迫害して殺した者たちは、自分が一番神様を信じていると自称して自ら正統だと主張する祭司長と長老たちであった(マタ27章、マコ15章、使7:51~53)。今日聖書通りに一点一画の加減なく、六何原則に基づいて啓示神学を教える公義公道の使者を異端だと締め上げる者たちがいる。彼らは、聖書を知らず恣意的の注釈をいろいろ作って偽りの正統を誇り、お金で教権を買って真理と約束の使者を呪う。彼らは昔の預言者とイエス様、その弟子たちを迫害した者たちと何が違うだろう。今日地上の牧者たちの中で、新天地と啓示神学と無料宣教センターについて聞けなかった者はいないし、収穫しに来たと聞けなかった者もいないし、霊的新しいイスラエル12支派の創設について聞けなかった者はいないだろう。
 
 約束した聖書の通達と収穫した12支派の創設(Ⅰコリ2:10、啓7章、啓14章参考)など誰もできなかった事を我々の新天地ができたとして迫害をするのではなく、これは喜ぶべき事である。神様と御使いたちは喜んでいるが、どうして人々は迫害をしているのか。
   確認して信じて救いに至る者になることを祈る。